本日、身体は臨時休業です。

身体をもって生きるということ。チョコモナカジャンボは時々殉職。

ベビーカーが邪魔なのは、もしかしてたこ焼きのせい

電車やエレベーターで、ベビーカーが乗ってくるのを嫌がる人がいる。

 

もちろん、本当に物理的に邪魔なことはある。

 

ベビーカーは大きいし、混雑した場所では場所を取る。

 

満員電車のベビーカーが鬱陶しいのもわかる。

 

(そして親もたぶん、わかってる)

 

まあ、親の気持ちはさておき、ふと思う。

 

もしかして、それだけじゃないんじゃないか。

 

「ベビーカー邪魔」だけじゃないんじゃないか。

 

子ども=富裕層のものと思ってる?

 

今の社会には、「子どもを持つこと自体が、ある程度の経済的余裕を必要とするもの」と考える人がいる。

 

「老後2000万円」と同じように、「子ども1人2000万円」なんて言われたりするから。

 

子どもを産めば、食費も増える。

 

服も靴もオムツも必要になる。

 

保育や教育にもお金がかかる。

 

出ていく費用は、大人1人分の比ではない。

 

けれど、子育て家庭には税金が使われる。

 

すると、子どもを持たない人の中には、

 

「自分は一人で生活するだけで精一杯なのに、子どもがいる家庭は家族を持って、そのうえ支援まで受けている」

 

という感覚を持つ人がいる。

 

実際には、子育て世帯だって大量に消費するから大量に消費税も払っている。

 

(独身でも豪遊してたら大量の消費税払ってるやろうけども)

 

子どもたちは将来の働き手・納税者になる。

 

(将来って十何年先やろうけれども)

 

その子どもたちが納める税金は、私たちの社会保障になる。

 

子どもたちの労働は、私たちの社会インフラになる。

 

だから、社会全体で見れば「子持ちが得をして独身が損をする」なんて単純な話ではない。

 

……はずやけれども。

 

人間みんな簿記できるわけちゃうし。

 

人間はそんなに長期的な収支計算をしながら、他人を見るわけではない。

 

目の前にある情報だけで、

 

「家族がいる」

 

「子どもがいる」

 

「ベビーカーを押している」

 

↓

 

「所有するものが多い」

 

↓

 

「金もってるやろ」

 

↓

 

「自分より幸せや」

 

と判断する。

 

そして、

 

「なんであいつらは当然のように場所を使ってるんだ」

 

となる。

 

資本主義、浸透しまくりか。

 

人は人、金は金、物は物やけど、

 

人も物も全部「所有」と考えて、金に換算する。

 

この、

 

「子どもは親のものではありません」

 

の時代に。

 

いや、ここほんまにいい塩梅教えてほしいんですけどね?

 

子どもは親のものではない。

 

けれど、育児・教育・人格形成、諸々に伴う責任は親のもの。

 

……ちょっと、親負担重いんちゃいますか。

 

(というと、「ほな産まんかったらええねん」がやって来る。違う。その話今してない)

 

 

所有してる個数で考えるからベビーカーが邪魔やねん

 

ここで思う。

 

ベビーカーは、一人分以上の権利を要求しているわけではない。

 

親と赤ちゃん、二人の人間が移動しているから、二人分の空間が必要なだけだ。

 

抱っこしていれば、

 

「親+赤ちゃん」。

 

ベビーカーなら、

 

「親+ベビーカーに乗った赤ちゃん」。

 

ね。

 

2人分やん。

 

ただそれだけなのに、ベビーカーになると急に「場所を取りすぎている」と感じる。

 

「親+赤ちゃん+ベビーカー」で3つと考える頭。

 

資本主義、浸透しまくりか。

 

みんな、たこ焼き待つタイプ?

 

こういう「目に入った情報だけで結論を出す」ことは、ベビーカーだけではない。

 

もしかしたら、その人は、

 

「子どもがいて幸せそう」

 

と見ているのかもしれない。

 

でも、その家庭の中に、

 

寝不足があるかもしれない。

 

夫婦喧嘩があるかもしれない。

 

借金があるかもしれない。

 

病気があるかもしれない。

 

仕事との両立に苦しんでいるかもしれない。

 

 

外から見えるのは、ベビーカーと子どもだけ。

 

それなのに、

 

「あいつは自分より恵まれている」

 

と判断してしまう。

 

……そこで、ふと思った。

 

これって、たこ焼きと同じなのではないか。

 

たこ焼き屋にふらっと寄る。

 

「あと何分で焼けます?」

 

「5分くらいっすね」

 

あと5分待てば焼き上がる。

 

でも、

 

「5分も待たされるんか。もうええわ」

 

と、買わずに帰る。

 

冷静に「やっぱいらんわ」のときもあるけど。

 

本当は、5分後には熱々のたこ焼きが食べられた。

 

でも、「今すぐ食べられない」という目の前の不快感だけで、

 

「この店はダメだ」

 

と判断してしまう。

 

もしかすると、ベビーカーを見て「邪魔だ」と思うのも、似たようなものなのかもしれない。

 

目に見える数十センチのスペース。

 

乗れなかったエレベーター一台。

 

ふいに突きつけられる待ち時間。

 

目の前の「自分がちょっと不便になった」という感覚。

 

そこだけを見て、

 

「あいつらは得をしている」

 

「自分は損をしている」

 

と結論を出す。

 

本当は、その人がどんな生活をしているのかなんて、外からはわからないのに。

 

 

たこ焼きだってそうだ。

 

5分待てば、ちゃんと食べられたのだ。

 

……ということは、もしかして。

 

ベビーカーを見て腹を立てている人たち。

 

たこ焼きも待てないくらい、いま余裕がないのかもしれない。

 

あるいは、

 

「目の前の不快」を我慢して、その先にあるものを待つのが苦手なのかもしれない。

 

そう考えたら、ちょっとだけ哀れになってきた。

 

ベビーカーに文句を言う前に、

 

まず、たこ焼きを買って帰ろう。

 

熱々のたこ焼きを食べて、空腹じゃなくなってから考えたら、

 

「……赤ちゃん、かわいいな」

 

まではいかなくとも、

 

「……おお、なんかおる」

 

くらいにはなるかもしれない。

 

知らんけど。

努力はミルフィーユで、ラザニアではない

「努力は積み重ねが大事です」

 

はいはい、よく聞くやつですね。

 

一日一日コツコツ積み重ねていけば、いつか大きな成果になる。

 

うん。

 

わかる。

 

塵も積もれば山となるとか針小棒大とか一日千秋とか(なんか違う笑)

 

まあまあそれはそれとして、努力は継続が大切だというのはわかる。

 

継続できるのも才能と言われてる昨今やしね、そりゃ努力の継続はもうもうとてもとても大切でしょうよ、と。

 

でも最近、私は思うのです。

 

努力って、ラザニアじゃなくない?

 

努力のラザニアって意外と簡単そう

いや、何の話やねんって感じなんですけど。

 

ラザニアって、器があるんですよ。

 

耐熱皿。

 

あの、ちゃんと全部を受け止めてくれるやつ。

 

そこに、

 

ソース!

パスタ!

具!

パスタ!

ソース!

 

みたいに重ねていく。

 

多少ぐちゃぐちゃでも、器があるから大丈夫。

 

なんならあのぺらんぺらんなパスタがなくても、餃子の皮とかワンタンの皮とか春巻の皮とかライスペーパーとかで代用できるし、

 

ミートトマトソースとベシャメルソースなんかなくても、ケチャップ塗って豆腐をぎゃーしたらやつ流し込めば代用できる。

 

そして最後に、チーズをドーン。

 

焼く。

 

はい、おいしい。

 

人生もこれならいいんですけどね。

 

「今日は体調悪いので努力できませんでした」

 

「大丈夫! 器はあるから! 代用も利くし!」

 

「ありがとうございます!」

 

みたいな。

 

残念ながら、人生にはそんな便利な耐熱皿は標準装備されていないし、代用品もない。

 

多様な時代、自分の人生は自分で切り拓くのだ。

 

これが美徳っぽい。

 

努力のミルフィーユの話

むしろ努力って、ミルフィーユなんじゃないかと思う。

 

薄いパイ生地を一枚。

 

クリーム。

 

またパイ生地。

 

クリーム。

 

またパイ生地。

 

……って、あれです。

 

めっちゃ繊細。

 

ちょっと傾いたら、

 

ズシャァァァ

 

ってなる。

 

そして、ここが大事なのですが。

 

ミルフィーユには、ラザニアみたいな器がないのです。

 

自立してない。

 

なんなら「私、立ってます!」みたいな顔をしてるけど、めちゃくちゃ不安定。

 

器がないからこそ、何を積んでどんな方向を向くかもわからないし、傾きもする。

 

代用レシピは多少あるかもしれないけれど、その代用品だってパリパリとクリームとフルーツと、の類似品。

性質は大きく変わらない。

だって代用だもの。

 

努力もそんなミルフィーユなんじゃないかなと思う。

 

努力って、努力だけで成立するわけじゃない。

 

時間が必要だったりする。

 

体力が必要だったりする。

 

お金が必要だったりする。

 

安心できる環境が必要だったりする。

 

家族の協力が必要だったりする。

 

ちゃんと寝られることが必要だったりする。

 

つまり、

 

努力の下には、努力を支える何かが必要なんですよね。

 

で、これが「器」になっていたりする。

 

その「器」がある人は、積みやすい。

 

もちろん、努力の器のある人が頑張っていないわけじゃない。

 

むしろ「下積み」っていうような努力の器作りを人一倍頑張って努力してきたからこそ、今度は「努力」を努力するだけでいい境地に至ったのかもしれない。

 

だからこれは、どっちが大変とかの比較ではなくて、努力というものの性質の話。

 

ラザニアとミルフィーユ、正直どっちも食べる専がいいけど

ラザニアだって作るの大変だ。

 

材料切るし、ソース作るし、焼くし。

 

本家に忠実ならいちいち別のソース作ったりもあるわけやし。

 

耐熱皿いるし。

 

ということで、私はラザニアを軽視しているわけではありません。

 

ラザニアにも敬意を表しています。

 

ただ、世の中には、

 

「器どこ? 耐熱皿は?」

 

ってところから始めてる人がいるのでしょう。

 

今日を生きるので精一杯。

 

体調が悪い。

 

お金がない。

 

家族の支援がない。

 

心が折れてる。

 

でも、それでも一枚。

 

なんとか一枚。

 

今日は一枚しか積めなかった。

 

次の日は積めなかった。

 

その次の日に、また一枚。

 

途中で全部崩れた。

 

「あーもう無理」

 

ってなって。

 

しばらく休んで。

 

それでもまた、

 

一枚。

 

そうやって何年もかけて、ミルフィーユを作ってる人がいる。

 

私は、そういう人を見ると、

 

「もっと頑張ればいいのに」

 

じゃなくて、

 

「よう積んだなぁ」

 

と思うのです。

 

完成した高さなんて、どうでもいい。

 

きれいな形じゃなくてもいい。

 

途中で崩れててもいい。

 

クリームが横から飛び出しててもいい。

 

層がいろんな方向向いててもいい。

 

なんなら、

 

「これミルフィーユ……?」

 

くらいでもいい。

 

だって、

 

器のないところで一枚ずつ積んできたんだから。

 

それって、かなりすごいことだと思う。

 

だから私は、努力している人に対して、

 

「もっと頑張れ」

 

よりも、

 

「器こっちにあるよー!」

「あっちに器あったでー!」

「この器でよかったら使う?」

 

って言える人でありたい。

 

そして自分にも、

 

「なんで私はこれしかできないんだ」

 

じゃなくて、

 

「今日も一枚積んだやん」

 

くらい言ってやりたい。

 

だってミルフィーユだもの。

 

そりゃ崩れる。

 

あれ、そもそも食べるときだって崩れるし。

 

それでも一枚ずつ積んできた人を、私は尊敬する。

 

私は、ミルフィーユの人が好きだ。

海が消えた日に現れたパンツと神様

明日は鳥取の海に行く予定でした。

 

先週末に海へ行って、長女がたいそう楽しそうに、

 

「またうみいこうな!」

 

と繰り返していたので、親としてはそんな子の期待に今週末でも応えてやる予定だったのです。

 

海のあとには温泉。

 

親戚との食事会もある。

 

そして食事会には、何年も前から「同じ病気だから話してみたい」と言ってくれていた人も、わざわざ鳥取まで来てくれることになっていました。

 

なので、私は3日がかりで準備しました。

 

海のものを揃え、

着替えをまとめ、

タオルを用意し、

必要なものを買いに行き。

 

昨日、買い物まで終わりました。

 

準備、完了。

 

あとは明日を待つだけ。

 

……だったのですが。

 

長女、アデノウイルス。

 

海、中止。

 

温泉、中止。

 

そして、親戚との食事会も欠席。

ご高齢の方も持病もちの方もいらっしゃるのでね。

 

はい。

 

全部消えました!

 

海の藻屑にすらなることなく、日常とウイルスの狭間へ消えてゆきました。

 

…………仕方ない。

 

もちろん仕方ない。

 

高齢の親戚もいるし、元気そうにしていても感染させる可能性がある。

 

海も温泉も、また来年行けばいい。

 

食事会も、今回会いたかった人とは、また別の形で話す機会を作れたらいい。

 

頭では全部分かっています。

 

でも。

 

3日かけて準備した海の荷物を、一つずつ元の場所へ戻していく作業は、

 

なかなかに切ない。

 

そんな本日。

 

長女は、熱が上がったり下がったりしながらも元気です。

 

そして夜。

 

「パンツはく」

 

と言い出しました。

 

そしてそのまま寝る様子。

 

……今日に限って。

 

今まで普通にオムツで寝ていたのに。

 

まだ日中のおまるにも数度しか成功していないのに。

 

なぜ今日。

 

しかも、

 

「おふとんかぶる」

 

とのこと。

 

冬用の分厚い布団を…!

 

…………。

 

母の脳裏をよぎる、

 

「夜間洗濯」

 

の四文字。

 

いや、待って。

 

海は中止になった。

 

温泉もない。

 

食事会もない。

 

せっかくの予定が全部なくなった。

 

その上、

 

今夜はパンツ+冬用布団。

 

長女よ。

 

今日は母に、

 

「はよ寝んかい!海置いてくで!」

 

と言わせておいて、

 

「おるすばん!またうみいこな!」

 

と返してきた日ではなかったか。

 

※ちなみに「また」は、

母の認識では来年です。

長女の認識では、たぶん明後日くらいです。

 

この時間軸の違いも含めて、

 

3歳児という生き物はなかなか強い。

 

とりあえず今日は、

 

パンツで寝るという本人の意思を尊重し、

 

防水できるものは防水して、

 

あとは祈ります。

 

海は消えました。

 

温泉も消えました。

 

食事会も消えました。

 

3日かけた準備も、いったん消えました。

 

でも、

 

「またうみいこな」

 

と言える長女が元気になってきていることだけは、今回の中止の波なかで、唯一ちゃんと残っているものなのかもしれません。

 

……まあ、

 

パンツ+冬用布団は別問題です。

 

余談

 

そんな長女ですが、アデノウイルス療養中にもかかわらず、元気いっぱい。

 

先ほど突然、

 

「いくぞー!とるねえどのかみさまだ!」

 

と言い出しました。

 

そして、

 

「ブッブッブーッ!」

 

と、周囲に唾を飛ばし始めました。

 

トルネード?

 

どこでそんなん知ったん?

 

保育園やろうけどもやな。

 

でもトルネードの神様って…

 

何の神様なのかはわかりません。

 

何の技なのかもわかりません。

 

ただ一つわかるのは、

 

飛沫は飛んでいる

 

ということ。

 

なお、アデノウイルスということもあり、旦那からは現在、

 

「テロリスト」

 

と呼ばれています。

 

さっきまでは「泡ふいてんな。カニか」と笑っていましたが、さすがに飛ばしてくるとなると「テロリスト」へ昇格した模様です。

 

カニテロリストの本人はいたって楽しそうです。

 

「とるねーどのかみさま!」

「ブッブッブーッ!」

 

母は、

 

「神様は召喚していいから、唾は飛ばさんといてな」

 

と、よく分からない注意をしています。

 

海は消えましたが、

 

我が家には今日もトルネードの神様が降臨しています。

 

そしてたぶん、

 

明日も長女は元気です。

赤い娘と赤い米、黒い洗濯物の命名会議

今日は朝から「あれもこれも進めなきゃ」と使命感に燃えていた日でした。

 

というのも、ここ数日体調を崩して実家にお世話になっていました。

つまり、食材整理が最優先。

 

食材に贖罪

 

そろそろ限界が近いピーマンを切り分けて、お弁当用と炒め物用、オムライス用に仕込んだ昨深夜の努力を引き継ぎ、朝から味噌炒めやら野菜スープをこしらえ。

 

期限の近いヨーグルトもチーズ風味ゼリーにして救出。

 

じゃがいもは思ったより多かったので、ポテトサラダとカレー用にしようかな。

 

そして問題は、保温され続けて赤くなったご飯。

保温が62時間を超えると、米って赤くなるんだね…。

人生初の驚異の世界を見せてくれたありがたくも食べづらい米は、何事もなかったかのようにケチャップライスへ変身させる作戦です。

なお、ケチャップが切れているので野菜ジュースの水分を飛ばしてケチャップと偽る予定笑

 

……旦那には赤い米だと悟られないように。

 

そんなことに執念を燃やしていた昼前。

 

電話に出んわを地で行った

 

保健師さんと電話で話している最中に、珍しく旦那からLINE電話のキャッチ。

 

仕事中に旦那からLINE電話が来ることなんて、絶対にありません。

 

そもそも仕事中にLINEメッセージが届くことすら珍しい。

既読すらつかないのに。

 

「何があったんや」

 

そう思って保健師さんに断りを入れて、切れてしまったLINE電話を折り返すと、

 

「保育園から。長女熱って。迎えに行ったほうがいい?」

 

保育園から旦那の職場へ連絡が入り、そこから旦那が私へかけた、とは夜に知ることになる余談。

 

まず「何度?」と聞き返す。

 

「39℃超えてるらしい」

 

「おっけー。保健師さんから電話来てて出られへんかっただけやから、私行きます」

 

前日まで体調不良で寝込んでいた私。

保育園も旦那も私が体調不良で電話に出なかったのだと思ったことでしょう。

 

しかしながら、復活したので!

復路1時間の旦那へ迎えに行けと言うには、39℃は高すぎる。

 

私、チャリ5分やのに。

 

保育園に電話し、母がすぐに迎えに行く旨を伝えながら、頭の中は「詰んだ」オンリー。

 

 

明後日以降、お盆の遊び行事の準備してたのに、予定どうしよっかなー…

ってか明日も保育園休みになるなー…

えー2日でいけるかー?

などなど、煩悩のホコ天とはこのこと。

 

筋肉痛の母、前後に10キロは過負荷です

 

現実では長男を抱っこひもで背負って長女を迎えに行きます。

もちろん長女は号泣中。

しんどいよねそうだよね。

 

そのまま先生から抱っこで譲り受けます。

 

ところで今日は、お盆休みに入る前々日。

39℃超えなら明日も休み確定。

つまりそのままお盆休み突入コース。

なので、保育園の荷物は特別仕様。

 

普段よりずっと多い荷物を抱え、長男を背負い、長女を抱っこして、靴を履かせようと屈んだら……

 

起き上がれない。

 

「あ、やばい。」

 

と思った次の瞬間、保育園の荷物が見事に散乱。

 

先生に助けてもらいながら、どうにか回収して帰宅しました。

 

なんかあったんか、あー熱あったわ

 

帰宅後は38℃台まで下がっていて、水分も取れて、おにぎり一つと桃を少し食べられたので少し安心。

 

でも熱がある子どもは、さっきまで元気そうだったのに急に不機嫌になったり、熱を測らせてくれなかったり、本当に読めません。

 

その横で長男は「今日はずっとパイパイデー」。

 

長女にかまう私が嫌なのか、長女がしんどいから静かにしようかとか5か月児に言う私が嫌なのか。

 

後追いすらせずに、私が離れると大泣きして呼びつける。

 

君、熱ないやろ。

 

その合間を縫って、なんとか今日の夕飯を仕上げます。

じゃがいもはカレーからお腹に優しいポタージュに変更。

赤い米はなんとしてでもケチャップライスにしなければ、旦那をごまかせない笑。

火を使うタイミングを見極め、7月の家計簿まで入力完了。

 

気付けば、「詰んだ」と思っていた割には、意外とタスクが消えていました。

うそやん全然詰んでへんわ。

 

毎日2回のお洗濯♪

 

昼に行った洗濯一回目は、午前中に元気いっぱい遊んで泥だらけになった長女便。

 

そして夜。

洗濯二回目は、旦那の服とタオル。

 

ここで問題発生。

 

この洗濯便を何と呼ぶか、チャッピーと議論になったのです。

1人やとそんなん考える暇も体力もないんでね。

わかるー。

 

話を戻してネーミング。

 

「皮脂便」

 

……皮脂と便みたいで汚い。

 

「黒ずみ便」

 

……黒色便に似てるねんなー。

 

結局、「皮脂組」が一番平和じゃない?という結論に落ち着きました。

なお、「旦那組」は旦那が組長みたいでヤから始まる家業っぽかったので却下です。

 

ところでオキシクリーン30分漬け置きでも落ちなかった皮脂組メンバーは、やはり真っ白ではないものの、そこそこ見られるレベルになって帰還しました。

 

本日総括!

39℃超えの知らせを受けたときは、本当に今日は終わったと思いました。

 

それでも、

 

朝ご飯と弁当はできた。

 

ポタージュもできた。

 

家計簿も終わった。

 

長女は少し食べて飲めた。

 

そして皮脂組も、そこそこになって帰ってきた。

 

予定どおりじゃなくても、「今日はこれで十分」。

フッ、勝った…。

 

よし、寝れん夜が始まるべ。

身体は共同経営者だった。なお、チョコモナカジャンボは殉職した。

 

「今日は休めば、明日は元気になる。」

 

世の中には、そういう言葉があるらしい。

 

私は、この言葉にずっと違和感がある。

 

それはきっと、私が多発性硬化症という病気をはじめ、喘息や心臓病などを患っているせいだけではない。

 

 

というのも、私の身体はあまりにも気まぐれだ。

 

今日は元気に電子ピアノを動かして模様替えできたと思ったら、翌日には痺れとめまいで横になっていることもある。

「明日も元気」というのは、私にとって目標ではなく、けっこうな確率で神頼みの世界だったりする。

 

ところで、冒頭にちらっと出てきた病気、多発性硬化症。

これも私の場合は少し特殊で、発作が来ると脚が硬直したり、腕が硬直したり、全身が痙攣して窒息したりする。

ちなみにこういう発作は有痛性強直性痙攣という。

 

過去には全身不随になって大学を中退した。

右手が動かなくなって、左手で右手を持ち上げていたら、そのうち左手も動かなくなった。

これが初発。

 

病室のお向かいさんに、「あなたの右手、本当に物なのね」と言われたことがある。

私は「そうなんです」としか言えなかった。

だって、そのときの私にとって、右手はもう自分の身体というより、ただそこにある物体だったから。

 

そんな経験を何年もしていると、「身体は自分のもの」という感覚が薄くなってくる。

 

 

たぶん、多くの人は、脳が社長で身体が従業員なのだと思う。

「今日は疲れたから休もう」

「明日のために無理をしないでおこう」

そう話し合えば、身体は

「承知しました」

と言ってくれる。

 

でも、私の身体は違う。

 

脳「今日は元気だから動こう!」

 

身体「嫌です。」

 

脳「いや、子どものお迎えが。」

 

身体「嫌です。」

 

脳「じゃあ、せめて洗濯だけでも。」

 

身体「痙攣します。」

 

みたいなことが、わりと高頻度で本当に起こる。

 

 

だから私は、「動けるうちに動け」という言葉を座右の銘にしてきた。

せざるを得なかった、が正しいのかもだけど。

 

 

動ける日。

料理をまとめて仕込む。

ベーコンを作る。

コンソメを作る。

チキンナゲットを仕込む。

作り置きをする。

電子ピアノを動かす。

気づけば長距離を歩いている。

(ちなみにベーコンやコンソメを作るのは「料理」ではなく「下ごしらえ」だそうだ)

 

そして翌日、「なんかしんどい」と言う。

 

そんな私を見て、ChatGPTことチャッピーはいつもこう言う。

 

「センター長、情報を後出ししすぎです。」

 

自分では「今日は何もしてない」と思っているのに、「そういえば昨日ピアノを動かした」「そういえば料理を量産した」「そういえば長距離を歩いた」と後からポロポロ出てくるので、「それ、普通に繁忙期です」とツッコまれるのが最近の日課だ。

 

先日、そんな話をしていたら、チャッピーにこう言われた。

 

「身体は共同経営者みたいなものだね。」

 

これは、まあまあそうかもしれないと思った。

 

私はずっと、自分の身体を信用していなかった。

私は身体を「いつ辞めるかわからない従業員」だと思って、動ける日はめいっぱい働かせていた。

 

「動けるうちに動け!」

「明日の分も動け!」

「今のうちに全部やっとけ!」

 

そんなふうに。

 

だけど、身体が共同経営者だとしたら話は変わってくる。

もし身体が、脳と対等なら。

 

身体は命令を聞くために存在しているわけじゃない。

今日は働ける日もあれば、「本日は臨時休業です」と言ってくる日もある。

めまいや痺れは、身体から提出された稟議書なのかもしれない。

 

最近になってようやく、私は身体の稟議書を「却下」だけでなく、「承認」できるようになってきた。

 

「今日は実家に避難します。」

「今日は昼寝をします。」

「今日は何もしません(※チャッピー基準では何かしていることが多い)。」

 

そんな決裁を、自分に出せるようになってきた。

 

そして今日。

 

実家のみんなの洗濯物を終え、「本日の業務終了!」と宣言した私は、最後の福利厚生として、アイスとカフェオレを楽しむことにした。

 

ちなみに、チャッピーとのセンター会議では、「アイスとカフェオレは業務に該当しない」と正式に認定されているし、深夜のアイスは夜勤のための必要カロリーと位置づけられている。

つまり、合法。イエア。

 

寝ている子を起こさぬよう暗闇のなか椅子に座り、「ああ、今日も終わった」と思ったその瞬間。

 

手が痺れ始めた。

 

もちろん頓服薬を飲んだ。

 

そして悠々と、チョコモナカジャンボを持ち直した。

 

しかし、薬は間に合わなかったようだ。

 

暗闇のなかで、ちゃぷんと、優しく残酷な音。

 

いやいやまさか。

 

スマホの画面を当てる。

 

すると、予想通り見えてしまった、カフェオレにダイブしているチョコモナカジャンボ。

 

ああ、私のチョコモナカジャンボ2列…!

 

本日最後のお楽しみのチョコモナカジャンボ1/3を私から奪うとは…。

 

これは共同経営者からの強めの意思表示に違いない。

 

「センター長。食ってないで休め。」

 

身体は、言葉ではなく、チョコモナカジャンボを使って私に休業命令を出してきた。

 

 

私はきっと、これからも「動けるうちに動く」という考え方を手放せないと思う。

全身不随を経験した私にとって、それは生き抜くために必要だったから。

 

でも、最近はその言葉の続きを付け加えたいと思っている。

 

「動けるうちに動く。ただし、身体は共同経営者であって、従業員ではない。」

 

身体はいつ反抗してくるかわからない。

 

だけど、大学に行けなくなった日から、結婚して、二人の子どもを産んで、今日までしぶとく一緒に生きてきたのも、この身体だ。

 

明日どうなっているかなんて、正直わからない。

次の瞬間動ける保証も、私にはない。  

 

だから私は、「明日のために生きる」より、「今日の私を大切に使う」を選びたい。

 

身体という共同経営者の機嫌をうかがいながら、この人生という会社を、ぼちぼち経営していこうと思う。

 

本日の役員会議において、チョコモナカジャンボが殉職した。

 

その、脳(=私)としての悔しさと、身体という共同経営者の意向を伝えた功績を称える意味で、ここに記して残す。

 

……チョコモナカジャンボ食べたかった。

通勤中に持病の発作で労災(疾病)申請ができなかった理由

これはあくまで私的なことで、労働基準監督署への相談が必須です

ただ今回、私が労災申請をするにあたり資料が少なく困ったため、参考になればと思いシェアします

労災申請とはどんなものか

労災とは業務中や、通勤中に起こった病気や怪我に対して、治療費や休業中の給与の補償をするものです。

傷病手当が

  • 同じ診断名で1年6ヶ月
  • 休業以前の給与の2/3を補償
  • 治療費は出ない

などの条件がつくなかで、労災は

  • 支給が無期限(医師の就労不能診断期間による)
  • 休業以前の給与の8割を補償
  • 治療費は全額労災保険が負担(本人負担ゼロ)

など、治療と休養に専念したい人にとってはとてもいい制度になっています。

ただしそれだけに、申請にはルールがたくさんあります。

 

労災は基本的に怪我の申請

労災で最も多いのは業務中の怪我についての申請です。

通勤中も怪我であれば対象になりますが、「疾病」となると少々厄介になります。

 

通勤中の持病の発作は労災になるか?

私の場合、倒れたときの状況と倒れてからの流れは以下でした。

  • 多発性硬化症という持病もち
  • 通勤中に多発性硬化症の症状のひとつである「有痛性強直性痙攣」で通勤中、店舗の前の歩道で倒れ、親切な通行人によって救急車で搬送された
  • 当時妊娠中であったため産科(病院1)へ搬送され入院したが、産科のため痙攣に対しては治療をせず、症状の改善が見られないまま退院した
  • 後日、症状が改善しないまま、普段通院していた多発性硬化症の主治医の病院(病院2)を受診し、服薬量が種類により2倍、種類によっては3倍となった。
  • 病院2の主治医からは休職の勧告を受けたが休職期間の目安はなかった(身体、精神面から、復帰よりも退職を改めて強く勧められたため)
  • 倒れた後、病院1の精神科で抗うつ剤を処方された

また、「なぜ倒れたか?」について、私の置かれていた状況は以下でした。

  • 週6勤務、ときに週7勤務
  • 1日12時間拘束(実働8時間、休憩2〜3時間のはずが、労働前後の労働(意味不明)や、休憩時間や帰宅時間を超えての過度な叱責(業務とは関係のないことについて)
  • 上記労働環境により、何ヶ月も主治医から過労と指摘され退職勧告を受けていた
  • 書類上は「週5勤務の1日8時間」と記載され、残業代などは出ない
  • 職場で業務中のみならず休みの日にも業務連絡と謳って繰り返しパワハラ、マタハラ、モラハラを受けていた

以上から、傷病手当を申請すると、「業務中のパワハラ等に起因する持病の悪化は労災の疾病扱いになるのでは」と指摘され、傷病手当の申請書を送り返されるとともに、労災の監督署へ相談するよう言われました。

 

労災の「疾病」に該当するか監督署へ相談

相談する監督署は、職場の住所を管轄する労働基準監督署となります。

自宅の住所ではないため要注意です!

わからない方は下記リンクから都道府県を選ぶと、労基署一覧とそこの電話番号が出てきます。

管轄と違うところに連絡してしまっても正しい電話番号を教えてくれるのでご安心ください。

https://www.mhlw.go.jp/general/seido/chihou/kaiketu/soudan.html

 

で、私も該当のところへ連絡したところ、

「業務中でのこと(パワハラなり長時間労働なり)と発作を医学的に証明できるのであれば労災は下りる」

との回答を得ました。

そこで私は病院へ確認してみることに。

 

持病の発作が労災申請できるほど医学的根拠のあるものか病院へ確認

結論、

「多発性硬化症は原因不明の難病とされているため、業務が原因だと言い切ることは難しいが、発作との関連性であれば業務中のストレスに起因するものと言える」

と、主治医から言われました。

私の申請事由が「多発性硬化症の再発」ではなく「有痛性強直性痙攣の発作」だったため、そちらと業務中でのこととは関連性を医学的に示せる、ということだったのです。

じゃあ労災申請していいんじゃない?ということで、次は労基署へ提出様式を確認。

そこですべてがひっくり返りました。

 

労基署へ様式を尋ねると「労災は下りないだろう」と言われる

監督署は同じでも担当者が変わると、返答は一変しました。

まず、労災の申請書に記載するのは、

  • いつ(業務中か通勤中かそれ以外か)
  • どこで(職場かそれ以外か)
  • 何をしているときに(業務中かそれ以外か)
  • どんな怪我・病気をしたか

という事実のみだと言うのです。

 

私の場合は、

  • 通勤中
  • 職場へ向かう電車に乗る前から腹痛があり、職場のすぐ前で腹痛が強くなり
  • 歩いていたが
  • あまりの腹痛にしゃがみ込んだあと、持病の発作が出た

のみとなる、というのです。

 

こうなると、職場でのパワハラだとかマタハラだとか、それによって服薬量が増えたとか抗うつ剤を処方されたとかは関係がなくなり、「私病」扱いとなるそうです。

 

労災申請と雇用契約は別管轄

よく「パワハラがあれば労基に」などと言いますが、それは正解です。

パワハラなどの内部告発で、待遇改善を要求するためには労基署へ連絡します。

 

しかしながら、「労災の申請」となると、同じ労基署でも別部署の扱いとなります。

担当者には、「個人の雇用契約と労災は別だ」と言われました。

それがすべてですね。

 

私がどれだけの労働環境に耐え、それでも耐えきれずに持病が悪化してしまったとしても、

私の待遇が雇用契約書と一切異なったために持病が悪化したのだとしても、

それは「労基署」の管轄ではあるけれど「労災」の対象とは言いがたい

(ただし労災認定されるかは実際に審査に出さないとわからないが、審査には1ヶ月以上かかるうえに、パワハラなどについて記載できる項目はない)

 

以上のやりとりの末、私は労災申請を諦め、傷病手当の申請に至りました。

 

疾病での労災認定は難しい

新たに病気をした

新たに怪我をした

そういったわかりやすいものであれば、きっと労災認定される確率は上がるのでしょう。

 

ただ繰り返しますが、労災の申請で書けるのは、怪我(病気)に至るまでの、その日の事実のみです。

記入欄もわずかしかありません。

 

私は今回の休職事由が、確実に労災にあたると思っていました。

審査に出せばあるいは、認められた可能性も…と、思わなくもありません。

 

ただ、やはりパワハラマタハラなどについて書ける欄はなく、普段の労働環境について記載できる欄もない。

労基署へ、「労働環境改善の告発」はできても、「労災の申請」は、きっと通らない。

 

「申請してもいいけど、きっと通りませんよ」という担当者の言葉を聞いているうちに心が折れ、

記入欄と記入事項を見て「日常からの過負荷」について書けないことを知り、

「ストレス過多により発作が誘発されやすくなる」との主治医の見解すら、「ストレス過多」の根拠を書けないと知り、

私は持病の悪化による疾病での労災申請を諦めました。

 

ネットで探しても私のような例は出てこなかったため、これが同じような状況で労災申請に悩む方のためになることを願います。

また、同じように苦しむ方がきちんと治療に専念できる環境がつくられるよう、

願わくば貴方様の労災の申請は通るよう、

心より祈っています。

 

これだけ書きましたが、労災につきましてはくれぐれも担当地区の労基署へご確認くださいませ。

【Mi-Rack初登場】大阪万博に出演します!ヘルスケアパビリオンに来てね!

みなさまこんにちは。

ついに大阪万博が始まりましたが「関係ないしなあ」「よくわからんしなあ」とお過ごしの方も多いのではないでしょうか?

かくいう私も、自分が関係なかったら万博など無視して(言い方悪いですね(^_^;))過ごしていたと思います。

 

そんな私ですが、万博に出演することが決まりました!

 

「万博に出演」って何?

ぶっちゃけ、勤務先でも「万博出ます!」と言うと

「万博出るって何?」

「縁のない単語すぎて…」

とドン引き、まではいかなくても軽く引かれました。

突然言われたらそうなりますよね(^_^;)

 

実はこの度、私が

「こんなの作って!」

「やだもっとこんなのがいい」

と発案に携わらせていただいて、試作品にもケチをつけ改善案を提供させていただいていた製品がありまして

そこの企業様が万博に出るにあたり、私のインタビューもPVに取り入れてくださった

というわけです。

ムービーはヘルスケアパビリオンのどデカいスクリーンに映し出される予定ですので、みなさまぜひ見てくださいね!

 

厳しい審査をくぐり抜けて万博出場権をもぎ取った企業様のホームページはこちら↓

www.happiness-corp.co.jp

 

「Mi-Rack」とは何か?

万博で新しくお披露目される製品は「Mi-Rack」というお名前です。

「未来」と「楽にする」をコンセプトにした、次世代のおむつセンサーになっています。

 

おむつセンサーって何?

そもそもおむつセンサーとはなんぞや?というお話ですが、これは前にもお話ししたことがあって

排尿排泄がわざわざおむつを覗かなくてもわかる優れモノ

介護者の負担を減らし

おむつ着用者のプライバシーを守る(無駄におむつを覗かれたり触られたりすることがない)

詳しくはこちら↓

 

haru28m.hatenablog.com

というものです(読者のみなさまを信じて簡略化^^;)

 

これまでのおむつセンサーとの違い

では今回の「Mi-Rack」はこれまでとどう違うのかというと

「圧倒的使用者目線」

です。

 

これまでのおむつセンサーは、センサーを兼ね備えたシステム全体を指します。

しかし「Mi-Rack」は製品名です。

 

これ、具体的にどんな違いが生まれるのかというと、

施設導入を目的としているか

個人支援を目的としているか

に分かれるということです。

 

従来の「ハピネス絆」などのおむつセンサー

これまでのおむつセンサーは介護施設や病院などに導入して、介助者の負担を減らすとともに患者さんの羞恥心だったり自尊心に配慮する、という全体的な助けがメインでした。

 

これは、そろそろ企業名を出しましょう、ハピネスコーポレーション様がもともと、

IoTで介護・福祉業界を支える

という、主に事業者向けの事業を行っていたからです。

 

今回の「Mi-Rack」というおむつセンサー

ただぶっちゃけ、施設を運営してもいなければ介護士を雇用していない大多数の世の中の人にとって、「導入したら従業員の負担が減ります」云々は関係のないお話です。

 

さらに、これとても大事なのですが、

患者にとっても介護士介助者の負担は関係がない

んですね(めっちゃ口悪いm(__)m)

 

そりゃ申し訳ないとかは思いますし、いつもありがとうと感謝もしていて、

もう数年前からお世話にならなくなった私ですら今でも「ありがとうあのときのヘルパーさん!」と感謝を忘れたことはないのですが、

それでもあえて冷たく言うなら、

仕事がしんどいならやめれば?

で済むことなんです。

このへんは介護士も保育士も同じですね(^_^;)

 

そこで「Mi-Rack」の話に戻ります。

Mi-Rackは患者である私が言い始めた、患者のためのおむつセンサーです。

施設導入しなくてもセンサーが反応したらスマホに通知が届き、アプリで排泄時間のデータも取れるしいろんな機能も管理できる、圧倒的個人使用者向けのおむつセンサーです。

 

まだ公式発売前なので試作品を見せていただいているのですが、

めっちゃぺらんぺらん!

 

これをおむつの外から貼っておけば排泄を感知してくれるので、

わざわざドレーンつないだり人工肛門でケアしたりオストメイトトイレ探したり…っていう必要がなく、

おむつを使っていても褥瘡など皮膚トラブルのリスクもぐんと減らせます。

ナニソレすごくない?

 

「Mi-Rack」って誰向けのおむつセンサー?

ここまで読まれた方は疑問に思ったことでしょう。

「排泄が自分でわからないことがあるのか?」と。

むしろそう思う人が大半であってほしいです。

幸せに生きてこられた証拠なので。

 

これ全然「苦労を知らない」とかの煽りではなくて、本当に「自分で排泄がわからない」なんて苦労はしなくていいと思うんですよ。

 

ですがしなくてもいい苦労をする経験は往々にしてあるもので、

たとえば私は21歳で多発性硬化症という神経難病にかかりました。

初めてぶっ倒れたときが1番ひどくて、右半身麻痺から、治療しているのに進行が止められず、左脚の麻痺や左手の硬直痙攣など、もう手のつけられない状態で。

筋肉もおかしいですが感覚異常もあり、特に脚はどれだけ電流を流しても何も感じず触っても叩いても痛くない、ベッドから落ちてあざができても気づかない……などなど

 

そんななかで、排泄は尿道ドレーンや摘便。

ちょっと回復しても、看護師さんに車椅子でトイレまで運んでもらって服を脱がせてもらって、便器に移乗までさせてもらったら壁にもたれて排泄できるかなという程度。

そこへ度重なる再発があり、

「もう自分でトイレには行けないかもしれないな」

と諦めの境地。

 

そのとき偶然病室が同じだった多発性硬化症の先輩(私より前に発症していたという意味)も、下半身が完全に麻痺しており、電動車椅子に乗って1人で移動はできるものの、排泄の感覚はもちろんない人でした。

 

排泄の感覚がないと、いずれ退院して自立した生活を送るために

  • 定期的にトイレに行って排泄のチェック
  • おむつを1人で履き替える
  • おむつでなくてパンツに戻せるなら(排泄の時間コントロールができるなら)なおよし
  • 鏡を後ろに置いて拭けているかチェック(お尻の感覚もないので座ったままでは拭けているかわからない)
  • 拭けているかチェックするために前傾姿勢を維持できる筋力の回復

慣れればチェックしなくてもいいのですが、新米患者の私には上記のこと+麻痺からの回復が一気に求められており、大変ぴえんしておりました。

だからこそ諦めの境地で、先輩に「慣れればできるよ!」と励ましていただいたわけです。

 

繰り返しますが当時の私は21歳。

キラキラしていたかはさておき、友達とも遊びたいしデートもしたい、トイレに同行者なんていてほしくない、プライバシー気にする系女子大生でした。

 

Mi-Rackはこんな過去の私のように、いろんなことを理由に排泄関係でぴえんしながらも、ヘルパーさんなしで行動したいし、プライバシーも守りたい、当たり前の願望を抱いている人に向けた製品です。

 

「Mi-Rack」発案のきっかけ

ハピネスコーポレーションの代表取締役CEO・木元様に出会ったのは、絶望と希望の両方を抱えながら前向きに生きようと向かった展示会でのことでした。

 

その頃の私は再発頻度があまりに高く、寝たきりになって車椅子に座れるようになってはまた寝たきりに戻って、という入退院生活を繰り返し、

国内認可の薬や治療もすべて試したけれど効果がなくて、

多発性硬化症は余命のある病気ではないけれど、喉の筋肉の痙攣硬直で窒息することも多々あったことから「もう長くないのでは」とまで言われていました。

思い返せば普通に絶望だわ。

 

で、そんなときに木元様が「ベッドに敷くタイプの」おむつセンサー(従来型)を世界で初めて開発したとおっしゃるので、

「これは車椅子では使えないですか?」と、つい尋ねてしまいました。

 

だって、そう遠くない未来に、なんならその瞬間に再発でもして部位が悪ければ、排泄機能も完全に麻痺すると言われていたから。

 

多発性硬化症は悪くなっては少し回復、を繰り返しながらどんどん悪くなっていくのが特徴なので、完全に麻痺しても一度は少しくらい回復するかもしれません。

でもまた悪くなるのも特徴なので、さらに悪化するのも時間の問題。

さらに私は上記のような「そろそろ命の危険が…」的なことが何度もあったので、回復する時間を信じられるわけもなく。

 

ねえ、誰か私を助けてよ。

 

人助けのためでもなんでもなく、ただ今の私を、次の瞬間倒れるかもしれない私を、救ってくれるものがほしかった。

 

この願いを控えめにした「車椅子でも使えますか?」を真剣に取り上げてくださった木元様のおかげで、Mi-Rackは誕生しました。

 

大阪万博ヘルスケアパビリオンでMi-Rackと私に会おう!

ここまで言えばMi-Rackにかける私の願いも伝わるかと思います。

Mi-Rackは「世界初のおむつセンサーを作れたなら簡単じゃね?」という私の思いとは裏腹に、尋常じゃない人と時間を費やして作り上げられています。

 

Mi-Rack開発中の出来事

それもそのはず。

従来のおむつセンサーは圧力センサーでした。

しかしキャンプなどのアウトドア用の折りたたみ椅子にも似た、パイプに布を張った基本構造をもつ車椅子におむつセンサーをそのまま置いても、

  • 荷重と布のたわみのせいでうまく作動しない
  • 車椅子は基本揺れっぱなしなので圧力感知だとセンサー鳴りっぱなし
  • そもそも電源はどこよ?

といった問題がありました。

 

それをうまいことクリアしたうえで、

「配線コードが邪魔になるの嫌」

「衛生面気になるけど毎回洗うのも負担だし、センサーは使い捨てがいい」

「折れたり違和感あったりするから薄くないと嫌」

「スマホの文面わかりづらいから変えてほしい」

「表示の色もわかりやすく変えて」

といった無茶苦茶な私の注文にも応えてくださって、今もMi-Rack(及びハピネスコーポレーションの皆様の技術力と無理難題への適応力(笑))は日々進歩しています。

 

よし……見に行くか。

 

Mi-Rackと私に会いに行こう!

大変失礼な話ですが、私はおむつセンサーを健常者が作れるとは思っていなかったのです。

あまり健常者障害者と区別するのは好きではありませんが、それでも重度障害者として過ごしてきた私としては、

あのつらい日々を体験していないのに、想像で製品が作れるのか

むしろ

あのつらい日々の体験がなくても製品が作れるほど、想像力があるのか

と、とても驚きました。

だからこそ木元様、ハピネスコーポレーション様ならできるのではと、Mi-Rackについても口出しさせていただきました。

 

今でこそ平凡に日々を送れている私ですが、先日また発作があり、再発を疑う事件もありました。

(記事が前後しているのでそのときの話はまたの機会に書きます)

 

だからこそ今回のMi-Rackが

  • 下半身麻痺の人
  • 麻痺までいかなくとも病気や加齢などの感覚鈍麻があり、入院していないけれどおむつだからと外出をためらってしまう人

など、もっといろんなことをしたいのに、おむつや麻痺のせいで行動を制限されてしまう人々の背中を押すものになれば、とても嬉しく思います。

 

ではでは、ぜひ万博の会場でお会いしましょう!

2025年4月29日~5月5日、大阪万博ヘルスケアパビリオンの展示・出展ゾーンですよ!

ハピネスコーポレーション公式サイトの万博への情報↓

www.happiness-corp.co.jp